はなぶさを始めた理由

南三陸で進んでいく町づくりの、その続きを見ていたい。はなぶさの創業には、そんな思いがありました。ものづくりを身近に感じて育った代表佐藤孝範と、地域づくりの担い手になりたいと移り住んだ安藤仁美。二人の歩みから、会社の原点を振り返ります。

ものづくりの原点と、デザインへの憧れ

代表佐藤孝範がクリエイティブの仕事に憧れ始めたのは、中学生の頃でした。当時は、田舎道の看板や建物の佇まいに違和感を覚え、自分の暮らす地域に誇りを持てずにいたといいます。

そんな時期に足を運んでいたのが、仙台のメディアテークにあったデザインショップです。そこにいる時間が、気持ちを落ち着かせてくれました。やがて東京の美術大学へ進み、表現について学んでいきます。

一方で、ものをつくる仕事は、幼い頃から身近にありました。家業は、祖父が戦後に始めた佐藤鉄工所を原点とする町工場。大学で学んだ後は、家族と話し合い、家業を引き継ぐことを考えて実家へ戻りました。扱う素材や道具は変わっても、ものづくりを仕事にするという姿勢は、はなぶさの原点につながっています。

デザインへの関心は、学校で専門的に学ぶよりも前に、自分が毎日目にする風景への違和感から始まっていました。地域に誇りを持てずにいたことと、デザインショップで心が落ち着いたこと。その二つは、見た目や表現が、人の気持ちと無関係ではないと感じる原点としてつながっています。

この町づくりの続きを見ていたい

東日本大震災後、支援活動を通じて、代表佐藤孝範は南三陸町と出会いました。そこで感じたのは、町をよくしていこうとする人たちの勢いでした。

「いい町にすっぺ」。当時の空気を振り返ると、そんな言葉が浮かびます。町づくりの続きを、この場所で見ていたい。その思いが、南三陸で仕事をしていくきっかけになりました。

それまでにも、フリーランスとして映像制作やデザインの仕事を重ねていた代表佐藤孝範は、2017年4月、南三陸町ではなぶさを始めました。地域の人たちと関わりながら、自分の持つ技術で何ができるかを考える仕事が、ここから続いていきます。

南三陸に惹かれた理由として語られたのは、そこで町づくりに向き合う人たちの姿でした。「続きを見ていたい」という言葉には、一度訪れて終わるのではなく、変わっていく町と関わり続けたいという気持ちが表れています。映像やデザインの仕事を、この町で続けていくことを選んだ背景には、その出会いがあります。

地域づくりの担い手になる

安藤仁美が南三陸を訪れたのも、震災後のボランティア活動がきっかけでした。大学卒業後に地域で活動し、その後は東京で大学職員として働きながら、学生を被災地へ案内するスタディツアーをコーディネートしていました。1年のうち、およそ3分の1を南三陸で過ごす暮らしです。

行き来を重ねるうちに、自分自身が地域づくりの担い手として、もっと深く関わりたいと思うようになりました。南三陸へ移住し、ツアーの受け入れ拠点となっていた宿泊施設で、研修のコーディネーターやファシリテーターとして働きます。

2020年、安藤仁美がはなぶさに加わり、プロデュースを担う安藤仁美と、制作を担う代表佐藤孝範という役割分担が生まれました。その後も社員を迎えながら、仕事の幅を広げてきました。

東京と南三陸を行き来する仕事も、地域へ人をつなぐ役割でした。その中で、案内する立場に加えて、自分自身も地域で動く一人になりたいという思いが強くなっていきます。移住後の研修の仕事、そしてはなぶさでの企画やプロデュースは、そうした関わりの延長にあります。

変わっていく道具と、続いていく関係

創業から、制作に使う道具も、情報を届ける媒体も変わってきました。縦型の映像やSNSなど、表現の選択肢は増え続けています。その中で、代表佐藤孝範が変わらず追求してきたと感じるのは、制作の品質です。

安藤仁美が挙げたのは、お客さまとの関係でした。創業当初から付き合いの続く方が多く、仕事を終えた後も、次の相談をいただいています。

新しい技術を取り入れながら、よいものをつくり、関係を続けていく。学生の頃から代表佐藤孝範が大切にしてきた「文化的に裕福な社会をつくる」という思いを、南三陸での一つひとつの仕事につなげていきたいと考えています。

品質を追求することと、お客さまとの関係を続けること。創業を振り返る二人が挙げた言葉は違いますが、どちらも一つの制作を終えて、それからも仕事を重ねていくための土台です。媒体が変われば、求められる表現も変わります。その変化を受け止めながら、以前からの相談にも、新しい相談にも向き合っていきたいと思っています。

話し手

代表佐藤孝範・安藤仁美(株式会社はなぶさ)

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